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牛丼屋のお客 「今、決めてんやろが!」
2013-07-06 Sat 15:05
 過剰な消費者意識というのでしょうか。

 まるで戦場のような平日お昼時の牛丼屋に入ってきた20前の学生風の男性2人。席に着くと、注文を聞くために目の前で待っている30歳くらいの男性店員さんをよそにあれこれ悩み始めました。

客A:「お前は何にすんねん」
客B:「俺?・・・今、悩んでん」
客A:「俺はもう決めてんねん。カルビ丼や」
店員:「カルビ丼ですね」
客A:「アッ! やっぱ、ちょっと待ってや、
      やっぱ、他のにすんわ。
      ん~・・・」
店員:「そちらのお客様はお決まりですか?」
客B:「今、悩んでんねん!
      急かすな!
      ボケ!」

そのうち2人の客は、さっきの女は×だったとかの話を始める始末で、溜まりかねた店員が、

店員:「それでは、決まりましたらお声かけ下さい」

客A:「ちょっと待てや!!
      今、決めとるゆうてるやろが!!
客B:「貴様、何考えとんや!!
      注文とらんと、どこ行こうっちゅんや!!」

の、大騒ぎ。
 結局、更に年上の店員が出てきて平に謝っていました。


 以前、このブログで小学校に入学したての子供が教師に向かって「お前の給料を払っているのは僕のパパだ」などと言うとの話を書いたことがありましたが、こういった低級な人もどきは既に日本人の全世代に浸透しているのかもしれません。
 客は客でも、たかだか数百円払うくらいで、態度だけは数万円級です。
 別に、数万円払えば暴言も許されると考えているわけではありませんが、1人あたりン万円くらいのレストランに入れば、こっちが何を注文するか悩んでいる最中にウェイターさんがどっかに行ってしまったら怒ります。客の嗜好を聞いて、アドバイスしてくれるようなサービスも含めて客はお金を払っているのですから。
 それと同じようなサービスを僅かワンコインで味わおうなんて・・・図々しいにも程がある。

 最近、高級レストランで水にお金を払うことに対して議論が沸いていましたが、席に座るだけでお金を払うお店もあります。それが唯の水道水だろうが、六甲のおいしい水だろうが(正直、私は味音痴なので水の味なんてわかりません。高級店の方には申し訳ありませんが)そのお店のお水は、不平を言っている人達のランチ並みなであることを理解すべきです。
 牛丼屋さんに入って280円の牛丼に、お茶が300円したらかなりショッキングですが、高級レストランは牛丼屋じゃありませんから。


 今日も話が逸れてしまいました。

 昔のCMで「お客様は神様です」なんてのがありました。
 これはあくまでも店側の視点です。
 客の視点からすれば、私は神様なんかじゃありません。店員さんも私も唯の人間です。
 ただし、客はお金を払ってその対価を求める側であり、店員さんは対価としてのサービスを提供する側であるにすぎません。逆にいえば、店員さんは客に対して金額以上のサービスを施す必要は全くないのですが、昨今の過当競争のなか、他店よりも少しでも多くのサービスを提供して客を得ようとする思いが、客側の思い上がりを促し、それが教育等の本来は単なる客と店の関係では無い分野にまで及んでしまっていると言うことでしょうか。
 そう、唯の客側の思い上がりです。

 考えを一歩進めて、それでは客は何で思い上がるのでしょうか。
 大抵のお客も、立場を変えれば店員の側に回っている人が多いと思います。(最初の段で、牛丼屋で怒鳴っていた客も、実はドーナッツ屋で働いているかもしれません。)
 それが客の立場になると一気に偉い立場に立ちたがる、それもできるだけ安上がりに。それはきっと店側の立場の時に別の客から暴言を受けて、溜まったストレスを一気に晴らそうとしているからじゃありませんか。それも相手が反論できないのを良いことに。
 これは学校における苛めと、全く同じ構図だと私は考えています。

 人間は本来、全く平等ではありません。
 持って生まれた環境も、能力もバラバラですし、そもそも人間とは集団で生活する生物ですから、必ずリーダーやそれぞれの役割分担を集団の中に必要として発達してきました。それが組織です。
 今、(一部かもしれませんが)小学校では学級委員はやりたい人がやれば良いそうです。複数人いたときはジャンケンで決めるそうです。
 小学校の先生曰く、「これが民主主義と平等」だとか。

 唯、目立ちたいだけの役に立たないリーダーに率いられた集団の末路は悲惨です。こんなことをしていれば何れ集団は崩壊します。
 このため人間には生き残るために生まれつき、単なる平等ではない『適材適所』と快適な上下関係に対する欲求が備わっているのではないかと私は思っています。

 今の日本では『人権』と『平等』の意味も理解できなままに、それを強引に押し広げた挙句、人間本来の欲求を押しつぶしているのではないかと思います。
 結局のところ溜まったストレスは一点に集中し、抵抗できない弱い相手を「みんなで」見つけて、「みんなで」苛めることで、表向きの平等と、本能眠っている欲求を満たそうとする。

 要は、人間とは上下を付けたがる生き物なのです。

 実は、多くの人は上下関係の『上』に立つと(欲求が満たされるからでしょうか?)本来の意味での平等が何かが見えてくるようです。
 入社したてなのに会社の社長や組織を小馬鹿にしたり、牛丼屋で騒ぎ立てる人は『上』に立った経験の無い、いつも『下』の位置ばかりの人ということでしょうか。


 そう考えると、私も変なところで騒がないようにしないと・・・

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