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ブロンコビリー 「アルバイト店員に損害賠償を求める」
2013-08-16 Fri 13:06
 18歳のアルバイト店員が店の冷蔵庫に下半身を突っ込んだ写真をネット上に投稿したことが原因で店を閉店することになったレストランチェーンのブロンコビリーは、このアルバイト店員に損害賠償請求を行う考えを発表しました。
 店舗の閉店に伴ってこの店の従業員20人以上は当然のことながら解雇と言う事になってしまうので、損害賠償額は相当な額になるでしょう。恐らくは数百万からもしかすると1000万円ぐらいになるかもしれませんが、もっと思い罰を負わせてもいいのかもしれません。

 先日もUSJでアトラクションの運行を妨害したりする迷惑行為を繰り返していた神戸大学の大学生を含む数人が損害賠償を請求されることになりました。
 彼等も度重なる迷惑行為や危険行為で、USJのスタッフが園内で監視を行う等していましたが、全く気にせずに逆にそれをツイッター等で自慢するなど反省するどころか更に悪乗りしていたようです。アトラクションの破壊や運休、他の客への迷惑を鑑みてUSJは訴えることに決めたそうです。

 先日の東京ディズニーリゾートでの車椅子の利用実態に関する記述でも触れましたが、ディズニーシー夏恒例の水掛け祭りが始まると、会場の横に停めてある無人の車椅子に気付く人もいると思います。祭が終わるとギャーギャー騒ぎながら着替えていた集団の一人がオモムロに何事もなかったように車椅子に座って移動を始めるのを見ると、他人の事と思いながらも楽しい気分がぶち壊されてしまいます。


 日本人の常識が壊れたというのもあるでしょうし、もしかしたら「こいつらは実は日本人じゃない」という意見の人もいるかもしれません。
 しかしながら、共通しているのは罪の意識の希薄さと『自由主義→個人主義→俺様主義』という意識だと思います。

 罪の意識の希薄さに関しては、莫大な社会的制裁を負わせることで自分達が犯したことの大きさを認識させ、それを社会に知らしめることで模倣犯を根絶するのが一つの方法でしょうし、是非ともそうして欲しいと思います。そうすることで、18歳にもなって8歳と同じ行為で喜んでいるような大学生には、18歳に相応しい罪の償いをさせるべきです。

 しかしながら、若者だけでなく最近の大人にも根付いている『俺様主義』の根絶は既に相当困難な状況だろうと思います。今となっては日本人全体に蔓延っている、新しい日本人像と言っても過言ではないくらいではないでしょうか。それこそ、とっさの時に発揮される集団的善意が残っているからこそ救われるようなものでは?
 それでも、電車とホームの隙間に人が挟まれるという先日の事件でも、皆で電車を押している横でスマホで写真を撮ることに夢中だった人がいるでしょう。「バッカみてー、他人の事で何を熱くなってんだか」と思って横目に見ていた人もいるでしょう。そういった既にブッ壊れている人は今は少数でも、これからドンドン増えていくことでしょう。

 なぜ、日本人全体にこんな『俺様主義』が蔓延ってしまったのかというと、私は全ては学校教育に端を発していると思います。
 それは私が実際に小学校で教わった体験に基づいています。
 当時の私の歴代担任は皆、口を揃えて個人主義を絶賛していました。
 曰く
「貴方達は基本的に何をしてもいいんです。何をしても自由なんです。これは世界中の国々から見てもとても凄いことなんです。」
「日本と言う国は貴方達の行為を束縛してはいけないと憲法に書いてあります。同じ考えの人達が集まってデモをしても良いとハッキリと書いてあるんです。」
「どこで何を食べても、どこで何をしても良いんです。それが貴方達の自由なんです。戦争前はすぐにお巡りさんに捕まってしまいましたが、今の君達は自由を手に入れた幸せな人達なんです。」

 当然、当時は存在した『道徳』の時間で教わっている内容と矛盾しますし、法律で決められている罰則とも矛盾しますから、小学生でも頭の良い子はすぐに疑問を持つのですが、先生の回答は「法律が矛盾している」といったものばかり。
 そんな偏向した洗脳教育を親から子、子から孫と続けられた挙句に今の日本人が形成されたのだろうと思います。

 この「個人の考えで自由にという極端な個人主義」はいったいどこから発生したと考えればいいのかと言うと私は、憲法が補償している『基本的人権の尊重』に対する都合の良い解釈から来ていると考えています。
 基本的人権は自分の回りに存在する人、全ての人が持っている権利ですから、自分にはこの権利を尊重しなければならない義務が発生します。
 私がタバコを吸いたいと考える以前に、私はタバコの煙を嫌う(かもしれない)周りの人の権利を尊重しなければいけないのです。
 私がテーマパークのアトラクションでバカ騒ぎをしたくても、常に周囲の人の権利を侵害しないように配慮しなければなりません。
 どこで何をしようが「俺の勝手だろ!」等と言う言い分は、どこにも通用しません。

 それが『基本的人権の尊重』の本来の意味合いだと思います。

 ですから「基本的人権を尊重しろ」なんてことは、人間社会に於いては本来は改めて宣言する必要はいらない筈なのですが、憲法とは国に対する縛りだからワザワザ書いてあると捉えています。
 日本の教師の教えることは、これをワザと都合よく解釈しているとしか思えません。


 そう考えると、裁判などで婦女暴行や殺人を犯した人の人権を云々と言う話が常にマスコミから流れていますが、これもおかしいのでは?
 基本的人権の尊重とは「政府は国民一人一人の基本的人権を尊重しなければいけない」と謳っているのであり、結果的に『政府は、私の人権が犯罪者等に侵されない様にしなければいけない』と誓わせているはずです。
 そのため犯罪者には相応の罰を与えなければならず、犯罪者の人権に配慮して被害者のプライバシーを暴露しては踏み躙るようなマスコミの対応自体が憲法違反だと思います。

 まー、そんなのは若い人ばかりじゃありません。

 子供の夏休みで都内に出てくる人も増えているのでしょう。
 先日、60代くらいの女性が通勤電車の中でちゃんと靴を脱いで8人(くらい)かけのシートに足をノビノビと延ばしてくつろいでいるのを見かけました。ラッシュ時ではありませんが、立っている人も沢山いるのに、こんなんで連れている孫娘さんにチャントした教育ができる筈もありません。

 いつ、いかなる時も他の人に迷惑をかけないようにすること。

 学校や家庭で教えるべき『基本的人権の尊重』とは、単純にそういうことじゃないかと思います。

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